ココロまいるど

武道と瞑想の実践と、お釈迦様の教えから学んだことを、色々なところからヒントを得て記事にしています。

十思の九

2011.10.22 Saturday 17:01
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    JUGEMテーマ:こころ
     

    「恩恵を加えようとするときには、喜びによって賞を誤ることがないようにと思、」

     

     何であれ人のためになるものを贈ることはよいことです。ためになるものとは、もらった人や生きものがよりよく生きるために役に立つもののことです。

     

     2007年(平成19年)7月16日に発生した新潟県中越沖地震の際に、復興のための義捐金として、1等の当選した宝くじを贈った人があったようです。贈り主はどこのだれだか分かりません。どういう経緯で届けられたのか分かりませんが、当選金が復興に役立ったことには違いありません。

    ところが、同じように宝くじで1等が当たった人でも、人生を狂わせる人もいます。

     

     いわば運によって受け取った宝くじの1等でも、自分の独り占めにせず、さらに多くの人に役立ててもらうために差し出して、生き金にする人もいれば、自分で独り占めにして、さらに自分の欲を満たそうとし、その結果、身の破滅をもたらすような、死に金にする人もいます。

     

     よかれと思って人に贈っても、受け取った人が役立てることができなければ、贈った行為自体がよい行為ではありません。また、贈ったものと量が受け取る人にとって過分のものであっては、過ぎている分だけ無駄になり、ときにはそれがもとで様々な欲望を引き起こしてしまい、逆効果になることもあります。

     この場合、本当に相手のためを思って贈ったことにはなりません。ものや言葉を与えて自己満足を得るためだけのつまらぬ行為にすぎないのです。相手のためと言いながら、実は自分のためなのです。

     人に贈り物をするときには、受け取った人にとって、よりよく生きることに役立つかどうかを考えないといけません。相手のことを考えず、自分の感情を満足するために贈ることは、かえって相手に悪いことなのだということを忘れてはならないのです。

     

     贈ること、差し出すこと、与えることが善の行為となるのは、自己満足のためでなく、相手がよりよく生きるために役立ったときです。受け取った相手が確かに自分を改善し向上させて、よりよく生ている喜びを感じられるかどうかが大切なのです。

    そして、この受け取った人の喜びを、自分もともに喜べるとき、贈るという行為は自分のために贈ったことにもなります

     

    このとき、自分も相手もともに喜び、よりよく生きることに役立つ、最高の贈り物となるのです。

     

    ※2012年1月22日に、一部修正しています。
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