ココロまいるど

武道と瞑想の実践と、お釈迦様の教えから学んだことを、色々なところからヒントを得て記事にしています。

十思の五

2011.09.18 Sunday 21:58
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    JUGEMテーマ:こころ
     

    「狩猟などをして遊び楽しみたいときには、三駆を限度とすることを思い、」

     

    自分の趣味や娯楽ばかりに耽ることができれば、楽しくて充実した人生をおくっているように思えます。あちらこちらに注意散漫な状態で趣味や娯楽を楽しんでいる人はいません。集中できるから楽しいのです。

    人にとって、集中できる環境があることは大切なことです。物事を注意深く進める上でも、集中力は大切です。趣味や娯楽を楽しんでいるときには、時間の経つことも忘れて、その行為に没頭します。このように、趣味や娯楽に力を入れることには、集中力を高める効果があるので、あながち無駄なこととは言えません。

     

    では、趣味や娯楽を楽しむことの、どこに問題があるのでしょうか。

     

    まず、趣味や娯楽を定義してみましょう。

    ここでは、仕事以外の時間で多くの時間を費やしている、専門としてではなく楽しんですることを「趣味」としましょう。また、時間の多少に関係なく、楽しむ要素とそれによってストレス発散の効果が大きければ、「娯楽」と定義します。

    例えば水泳であれば、教室に通っているなら趣味ですが、休みのときに家族や友達を泳ぎに行ったりするのは娯楽になります。

     

    さて、お金や権力や時間があると、際限なく趣味や娯楽につぎ込んでしまいます。なかったとしても、普段の生活をも多少犠牲にして何とかやりくりし、お金と時間の都合をつけたりします。人は、そこまでしてでも、自分の趣味や娯楽に耽って、なかなかやめられません。耽っているときに、五感からより多くの刺激が得られれば、より楽しいものとして感じます。その刺激が快感になると、快楽になります。快楽はいつまでも続くものと思うと同時に、続いて欲しいと執着します。ところが、刺激が続くと、自分の感覚がその刺激に慣れて、思っているほど快感を得られなくなります。いままで気持ちよかったのに、それほどでもなくなってしまうのです。このように、快楽に執着することは、そのとき楽しいだけで、この先ずっと続くものでなく、後に何も残りません。非生産的で、有意義でないのです。

     

    どうも、趣味や娯楽においては、快楽を求め執着することに問題がありそうです。

    では、何のために趣味や娯楽をするのでしょうか。

    野球やサッカーなど、スポーツを趣味にしている人は多いでしょう。自らがプレーヤーになることもあれば、お気に入りのチームの試合を観戦したりすることも、趣味や娯楽になります。競技に関わることで、ストレス発散をしようとしていることはよく分かります。でもそれは、自分が勝つ方にいればの話です。

    このような競争の要素を含んだものは、勝つと楽しいのですが、負けると悔しいものです。基本的に負けた方は、恨みを持ちます。ストレスの発散にはなりません。余計にストレスが溜まります。いつかは勝つことを望んでリベンジを誓ったりします。そして望みがかなって勝ってしまったら、こんどは恨まれる方になってしまいます。

    ですから、わざわざスポーツマンシップに則ったフェアプレイを宣言させてまで、恨みっこなしですよ、とするのです。競争することは、宣言しなければならないほど心が汚れる行為なのです。

    また、競技をする者の感情は観戦する方にも伝染します。競技する者と観ている者との一体化が気持ちよいと言われますが、サッカーや野球をはじめとする多くのスポーツで、応援しているチームが負けたことに腹が立って、サポーターやファンが暴動を起こし、警察と乱闘になった事例は多々あります。

    このように、競い争うことは感情に強い影響を与えます。関わる者の心は静まりません。

     

    ところで、すぐれた技は自分の動きに集中していないとできません。そのためには、自分の心を静め、自分の行動を冷静に客観的に観察できなければなりません。プレーヤーには高い観察力が求められるのです。競技で、すぐれたパフォーマンスをしようとするなら、相手と争っていてはできません。スポーツなどの競技において楽しむべきは、闘争心のままに我を忘れた状態になることではなく、感情の起伏を伴わない、静かだけれど密度の高い集中状態になることです。趣味や娯楽は、快楽を求め執着する騒がしい心のためのものでなく、集中力の高まった静かな心のためのものなのです。

     

    人は日々の生活で疲れを感じます。寝ることは楽なはずなのに、ずっと寝ていれば疲れます。気分をかえるためにも、趣味や娯楽を楽しむことは必要です。

    趣味や娯楽を何のためにやっているのか、自分の満たされない部分のどこを満たそうとしているのかを観察します。こうした気づきから、こだわり続けるべきものなのか、やり続けるべきなのかを判断します。もし、それが自分の成長にとって有意義なものでなければ、きっぱりやめなければなりません。

     

    このように、趣味や娯楽は、それをすることがほかの人や生きものにとって迷惑なことでなく、自分にとって有意義であるならば、大いに楽しめばよいのです。

     

    ※2012年1月22日に、一部修正しています。
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