ココロまいるど

武道と瞑想の実践と、お釈迦様の教えから学んだことを、色々なところからヒントを得て記事にしています。

閉じている扉は、開ければよい

2016.07.09 Saturday 14:22
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    JUGEMテーマ:こころ


     仕事とか、すごくがんばってやっていて、あるときふと、「ホントは何をしたいのだろう」とか、「ここで何をしてるんだろう」とか、心の中でつぶやきだしたら、自分探しのきっかけができたということでしょう。
     そこから、本物の「自分」を探す旅が始まります。

     本当に、ふらっと旅に出たりします。
     「自分」を探す訳ですから、まずひとり旅です。
     でも、そのような旅で、本当に「自分」が見つかるのでしょうか?

     難しそうですね。

     もともと「自分」というものは、あるようでないようなものです。
     そういうものですから、はっきりしたい、自分のやりたいことを知りたい、と思うのでしょう。

     「自分」には、しっかりした「かたち」のようなものがあって、永久不変なものだと考えますと、とても「自分」が大切なもののように思えます。
     ですから、「自分の本当に大事なものは何なのか」、「何のために生まれてきたのか」をはっきりしたいのです。
     そうでないと、幸せになれないと思っているのです。

     それで、自分探しの旅に出ます。
     旅の途中では、「自分」の存在について、哲学的な思索にふけったりします。
     でも、見つかりません。
     「自分」を探すために、知らないことを知ろうとし、思いつくことを何でもやってみても、結局は見つかりません。
     なぜなら、ひとりでそれらのことをやっているからです。
     変わるために必要な外からの刺激を、自ら閉じてしまっているのです。

     閉じた扉は、開ければよいのです。

     同じ自分探しの旅でも、旅先で地元の人々や自分と同じような旅人と交流したり、目新しい風景や習慣に触れたりして、そのときの素直な感情を味わえばよいのです。
     すると、それらとの新しい出会いの中で浮かび上がってくる「自分」に気づきます。
     「自分」とは、その時、その場所で、他のものとの関係性で成り立っているのだな、とひらめくのです。
     これが探し求める「自分」との出会いです。

     「自分」という存在の輪郭は、自分だけで決められるものではなく、ほかのものとの関わり合いの中から、ぼんやりとわかるものです。
     皮膚を境にして、内と外に区切られているような物体ではありません。

     自分を取り巻く環境や人間関係が円満で、気分がよければ、本物の「自分」がそこにいるのです。
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