ココロまいるど

武道と瞑想の実践と、お釈迦様の教えから学んだことを、色々なところからヒントを得て記事にしています。

九 家をととのえ国を治める

2014.04.24 Thursday 19:15
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      国や会社などの組織を治めるには、まずその家をととのえなければなりません。自分の家庭でさえ教え導くことができないのに、家庭以上の組織を統治して教え導くことなどとてもできません。まず自らの身を修め家庭をととのえることで得た「人間としての器」から、国や会社などの組織を教え導くことがはじまるのです。このことは、親への孝行が組織の長に仕える忠誠につながり、兄への情が厚いことが年長者へ従順に仕えることにつながり、子や弟への深い愛情が国民や社員への慈しみや恵みにつながっている、ということです。
      
     子育てについて勉強して蓄えた知識が、赤子の気持ちを明らかにするわけではありません。母親が真心をもって赤子の気持ちを知ろうと求めれば、当たらずとも遠からずわかるものです。国を治める者が国民を愛することは、慈母が赤子を保つようなものです。国を治める者の家が思いやりをもってともに生活しているような家庭であれば、それに感化されて国中に思いやりをもってともに生きようとする気風がおこり、国を治める者の家が譲りあい与えあって生活しているような家庭であれば、国もこれに影響されてお互いが譲りあい控えめに生きようとなるものです。
     逆に、国を治める者が私利私欲をむさぼって暴虐であれば、国中が乱れて反乱が起こるのです。一言の失言が事業を台無しにし、一人の正しい行いが国を安定させるに至ります。
     これが国を治めるということです。
      
     歴史を振り返ってみても、法令で命じている規範と、暴君自身が好んでやっている悪事や暴虐があまりにも矛盾していますと、国民は法令に従わず好き勝手にやるようになってしまっています。国を治める者が思いやりと譲りあいの精神をもって、ともに生きることを自ら実践してはじめて、国民もそれに倣うのです。
     また、自分自身に貪欲や暴虐の悪にないことを示してのち、国民の貪欲や暴虐の悪事を批難し取り締まるのです。自分に思いやりがないならば、国民を諭すことはできません。自分自身に「人間としての器」がなく、規範も守らないのに、国民に道徳や秩序を強制するような矛盾が受け入れられた統治者などおりません。そのため、国を治めようとすれば、まず自分の身を修め家をととのえなければならないのです。


     国を治める者が家族にも兄弟姉妹にも優しく接することで、国の優秀な人材を教え導くことができるのです。国を治める者が儀礼に違わないことで四方の国を正すことができるのです。親に慈しみを、子どもに孝行を、年上の者に友愛を、年下の者に慎み深さを守らせることで、国を治める者は国民に家をととのえる意識を持たせることができます。このことが、国を治めるのはまずその家をととのえることにある、ということなのです。

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