ココロまいるど

武道と瞑想の実践と、お釈迦様の教えから学んだことを、色々なところからヒントを得て記事にしています。

十思の三

2011.09.01 Thursday 17:21
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    JUGEMテーマ:こころ
     

    高く危いことを思うときには、謙遜して自己を虚しくすることによって自ら処することを思い、」 


    自分の人生をより充実させようと、人は生活水準や社会的な地位などの向上を望みます。

    よりよいモノを、よりよいステータスを求めることは、人が幸せに生きるために不可欠なものとして考えられがちです。「よりよい」先には、いまより自由で満足感があると思うのです。そのために到達する目標を置いて、目標達成に向け邁進します。それが生き甲斐にもなります。

    ところで、その目標に達成したときに、果たしていつまで、自由や満足感を維持できるでしょうか。すぐに、もっと上、もっとよいものを求めるのではないでしょうか。

    積極的には「挑戦」といって、こうした欲望を正当化します。

     

    でも、あなたの生きることに、このような挑戦が本当に必要ですか。

     

    挑戦や向上心は、その対象がなければ成り立ちません。つまり、このような「心」は満足することがないのです。確かに挑戦すれば、物事を成し遂げるために必要な能力や技量、体力、知識などの力が身につくでしょう。また、達成することによって、積極性が高まり、自信もつきます。これら自体は大切なことなのですが、それにつれて、自分は衆にすぐれた能力のある素晴らしい人間なのだ、と思い出すと、注意が必要です。

    慢心が成長し、どんどん自信過剰になります。自分をほかの人より高い位置において、物事を見るようになります。いわゆる、上から目線で人を見るようになってしまうのです。そうなると、人の反感をかいます。恨まれたりします。確かに、万人に好かれる人などいないでしょうが、本来ならば良好な関係でいられる人とも険悪な関係になったりします。

     

    歴史上の有名な話を見てみましょう。

    戦国時代、毛利家に仕える外交僧であった安国寺恵瓊が、その書状の中で「信長之代、五年、三年は持たるべく候。明年辺は公家などに成さるべく候かと見及び申候。左候て後、高ころびに、あおのけに転ばれ候ずると見え申候。藤吉郎さりとてはの者にて候と書いており、織田信長の転落を予想しています。はたして九年後の本能寺の変において、この予想が的中したことは周知のところです。権力の高みを目指した織田信長の強烈な個性は、人としての魅力でもあるのですが、性格として人を従わせるところはあっても、人を心から受け入れるところはなかったように思います。さて、信長の後を継いだ豊臣秀吉は覇者まで上り詰めましたが、さらに領土拡大を求め朝鮮半島に出兵するあたりから、時勢は秀吉の思惑からずれ始めます。日本国を統一したときに、国内の安寧に注力すれば、豊臣家を中心に永い平和が保たれていたでしょう。しかし、秀吉は自制できなかったため、自分が築いてきたものを壊すことになりました。

    もう一つ知力での例を挙げましょう。

    三国志で有名な「泣いて馬謖を斬る」の故事のことです。三国志の蜀の国に、知恵に優れ有能の誉れ高い武将であった馬謖が街亭の戦いに臨みました。この戦いには、事前に諸葛亮の指示が与えられていたにもかかわらず、自らの考えに固執し作戦を変更した結果、敗戦を招きました。この責めを負い、馬謖は処刑されることになります。

    これらの権力や知力の事例にもみられるように、人は「力」というものをもつと、頭の良し悪しに関わらず、正確な判断ができなくなるようです。

     

    悪い事例ばかり見てきましたが、よい事例もあります。

    アメリカ合衆国の著名な投資家であり、実業家であるウォーレン・エドワード・バフェットがそうです。バフェットは純資産470億ドル(2010年)という経済力を持ちながらも、その生活は極めて質素で、1958年に31,500ドルで購入した住宅に住み、自身が最高経営責任者(CEO)を務める会社から年に10万ドルを受け取るだけ。確定申告も自分自身で書類を作成しています。投資で思わしいリターンが得られなければ、株主総会の場で、自分の投資判断の失敗を素直に認めます。このように、自らの資産がもつ「力」に驕ることなく、自制を忘れないバフェットは、フォーブス誌によるアメリカの長者番付で1986年に5位に入って以来、毎年ベスト10に入り続けています。また、2006年、バフェットは資産の85%にあたる約374億ドルを5つの慈善財団に寄付する、と発表しました。これは、アメリカ史上最大の金額です。こうした点から、バフェットは世界中から尊敬を集め、敬愛の念をこめて「オマハの賢人」とも呼ばれています。

    日本では、日本資本主義の父といわれる渋沢栄一があげられます。渋沢は、幕末から大正初期に活躍した幕臣、官僚、実業家で、第一国立銀行や東京証券取引所などといった多くの企業の設立と経営に関わりました。渋沢が三井高福や岩崎弥太郎、安田善次郎、住友友純などの明治の資産家と大きく異なる点は、財閥を作らなかったことにあります。渋沢が1916年(大正5年)に著した『論語と算盤』には、「道徳経済合一説」という理念が打ち出されており、「富をなす根源は何かと言えば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ」と述べられています。また、同書の「事柄に対し如何にせば道理にかなうかをまず考え、しかしてその道理にかなったやり方をすれば国家社会の利益となるかを考え、さらにかくすれば自己のためにもなるかと考える。そう考えてみたとき、もしそれが自己のためにはならぬが、道理にもかない、国家社会をも利益するということなら、余は断然自己を捨てて、道理のあるところに従うつもりである。」という言葉は、渋沢の経営哲学の真髄といえるでしょう。そして、この「私利を追わず公益を図る」との考えを、生涯に亘って貫き通しました。

     

    このように、力のある人ほど自らには自制心を、他人には謙虚さをもって、自分の力をほかの人や生きものの役に立てることが大切なのです。

     

    ※2012年1月21日に、一部修正しています。
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