ココロまいるど

武道と瞑想の実践と、お釈迦様の教えから学んだことを、色々なところからヒントを得て記事にしています。

九徳の二

2011.11.08 Tuesday 21:12
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    JUGEMテーマ:こころ
     

    柔にして立・・・和柔(おだやか)でしかも、しまりがあること

     

    慈しみの心があれば、人と柔和で穏やかに接することができます。慈しみの心にあるためには、嘘を言わない、殺生をしない、与えられた以上のものをとらない、邪な行為をしない、中毒性のものに耽らないことが肝要です。

    好きにしてよいと言われると、人は容易に、嘘をついたり、生きものを殺したり、物に執着したり、邪な行為をしたり、お酒やタバコなどの中毒性のあるものに溺れたりします。これらのことは、感覚への刺激が強いので、快感や憎しみなど強烈な感情を抱きやすく、生きているという実感が鮮明になります。よりよく生きることを望み、思いのままに振る舞えば、人の心はどんどん汚れてしまいます。

     

    生きていれば、どうしても、心の汚れを伴うものです。心が汚れないためには、自分の思考や行動に相当厳しくあらねばなりません。「やらない」と自分で戒めたことは、何があっても守る。そこには、例外はありません。冒頭で示した、慈しみの心にあるための五つの「ない」を自戒できる人であれば、心は汚れなくなります。


     自戒の人物であるから、慈しみの心にあることができ、人々だけでなく、生きとし生けるものと、柔和で穏やかに接することができるのです。

     
     
    戒めを守りながら、自分の行動や言葉遣い、意識を律することができる人が、自律した人物です。
     
    自律した人物は、心が汚れないように、いつも自分の振る舞いに気づきを入れています。気づきを入れた言動が心を清く保つのです。この清い心に、人々は魅きつけられます。誰でも、汚れているよりか、綺麗な方が好きなのです。


     慈しみの心と清い心に魅きつけられた人々は、自律できている人物に憧れ、我もこのような人物になりたいと頑張りだします。少しでも近づこうと、自律自戒している人物を尊敬し生きる手本にするのです。
     
     
    ですから、心が汚れぬよう自らの言動を戒める人物は、生きとし生けるものを慈しんでいます。その上に、心を清く保つよう自らの言動を律する人物は、慈しみの心へと人々を導きます。

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