ココロまいるど

武道と瞑想の実践と、お釈迦様の教えから学んだことを、色々なところからヒントを得て記事にしています。

競争から自由になる

2013.02.02 Saturday 22:40
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    JUGEMテーマ:こころ

     幼年期には、他人を模倣することにより、成長します。そして、その人より上手にできるようになろうと、競争します。このことは、幼児期の成長には大切かもしれませんが、青年期になっても、他人との競争にこだわっているとしたら、まだ幼児性が残っているといえるかもしれません。
     子どもは成長とともに、話せるようになり、歩けるようになり、自転車に乗れるようになり、鉄棒で逆上がりができるようになるでしょう。このとき親としては、同年齢の子どもたちと比べて早くできたことや上手にできるようになったことを褒めるのではなく、その子自身で立派にできるようになったことを褒めるべきなのです。

     競争心を持つことは、人の成長にとっては大変結構なことだ、と思われがちですが、過度の競争心は人としての品格を下げてしまいます。
     人の技術や能力は、社会の中で見いだされ成長するものです。つまり他人とのふれあいがあって、発達するのです。競争心は、他人との協力的な関係を阻害してしまうので、美徳とはならないのです。

     模倣する者は他人に基準をおいているので、主体性がありません。つまり、競うための相手が必要な競争心には、主体性がないのです。
     人は自立していなければ、ひとりで何かをすることができません。
     主体性があるからこそ、人は、直面している状況に対し自らの力で行動することができ、自由を感じます。
     競争心は、自分より優れていそうな人間を勝手に選び、次の行動を決めます。
     これは結局のところ、自分の選んだ人に依存した生き方なのです。
     競争心の強い者は、自分の選んだ人に追いつこうと努力します。このこと自体は技術や能力の向上につながるでしょうし、有能に見えますので社会での地位もあがるでしょう。
     しかし、自分が頂点に立ったとき、いままでの生き方では通用しなくなります。模倣する相手がいないからです。
     自分の力で計画を立て、行動しなければならないのですが、肝心の主体性を育んでいないので、うまくできるわけがないのです。

     人は自立することで、競争ではたどり着けない高みに至ることができるのです。

     競争心の強い者は、自分の選んだ競争相手に自らの行動を依存していることからわかるように、自分自身の主体性を放棄しているのです。自分の反応は完全に相手任せですから、自発性も創造性もありません。
     また他人に依存しているので、人々からの称賛の言葉を欲しがります。自分が優れた人間であると周りの人々から承認されたいのです。ですから、野心的で競争心の強い者は、単に人々から好かれたい、嫌われたくないという欲求にとらわれているにすぎません。何とかして人々から認められようとします。このような者にとって、成長しようとする努力は、すべて相手に依存する習慣を強めてしまうだけです。

     競争は、相手との比較で苦しむようになります。自分の選んだ優れた人との比較で悩み、劣った人との比較で喜びます。自分より上にいる人に非力であることを恐れ、自分より下にいる人が力をつけることを恐れます。
     競争心の強すぎる者にとって、人生は常に他人との比較で悩み苦しむようになっているのです。心の休まることはありません。人生の目的も、他人の物差しに頼っているので、見つかることはありません。
     人生の目的は自分自身の強さを証明することだと勘違いしているのです。
     競争心は、最後にその者自身を破壊してしまいます。

     一方、創造的で自立した人物は、相手と競争したいとは思いません。他人の物差しで、自分を測ろうとしないのです。
     自分より他人が優れている、劣っていると考えないことで、自由になれるのです。

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