ココロまいるど

武道と瞑想の実践と、お釈迦様の教えから学んだことを、色々なところからヒントを得て記事にしています。

十思の一

2011.08.15 Monday 16:28
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    JUGEMテーマ:こころ 


    「欲しいものをみたときには、足るを知ることによって自ら戒めることを思い、」
     



     どこまでが本当に自分にとって必要なものなのでしょうか?

    人が幸せに生きる上で不可欠なことは、季節・風土にあった服を着ること、必要以上に食べないようにすること、生活の場の雰囲気をよくすること、罹った病気を治すことです。

     

    氷点下に裸でいると、凍死してしまいます。太陽の照りつける下に裸でいると、火傷してしまいます。ハチの大群のなかに裸でいると、刺されてしまいます。服を着れば、これらのことから身体を守れますから、生きていく上で必要なことです。

    でも、派手な装飾を施したコートが必要でしょうか。

    コートは冬に着るものですから、真夏に着るものではありません。季節が違うのです。

    服装を選ぶには、まず季節を考えないといけませんね。これは、簡単に理解できるでしょう。

    冬にコートを着ることは間違っていません。ところが、コートにもいろんなデザインがあり、装飾も施されています。同じ時期に、結婚式とお葬式があったとします。これらの場には同じコートを着て行けません。その場にふさわしい服装というものがあります。自分が経済的に豊かであっても、その場に求められている以上に派手すぎる服装や、あるいは逆にラフすぎる服装は、周りの人々に不快感を与えます。

    また、同じ服装を着ていても、圧倒する印象を与える人もいれば、ちぐはぐな印象を与える人もいるでしょう。他人によく見てもらいたいと思いながら、自分の着る服や身につける装飾品を選んでいるのでしょうが、実際のところ他人は、服や装飾品を含めた、あなたが醸し出す「まるごとすべて」を見ているのです。

    ですから、流行の服や豪華な服を着ることの浅はかさを知り、人間としての品位を高めることが大切なのです。

     

    食べ物がないと、餓死して死んでしまいますから、なくてはならないものです。

    でも、希少な食材を使った豪華な食事やテーブルいっぱいの食事は必要でしょうか。

    希少な食材は高値で取引されるので、それに関わる人々の経済状況を豊かにしていることでしょう。また、テーブルいっぱいの食事を用意するためには、たくさんの食材が必要ですから、生産に関わる人々の仕事を繁盛させていることでしょう。お金がないと食べ物も手に入らない社会であれば、これらはよいことだと思われます。よいことをしていると考えられるのです。

    飢餓で苦しんでいる人々が心身ともに健康でないことは容易に想像つきます。では、経済面ではそのような状態の対極にいて贅沢な食事もできる人が、心身ともに健康なのでしょうか?

    糖尿病や動脈硬化など、いわゆる過食や偏食が原因で健康を損なう人々がいることを考えると、食べ物の摂りすぎもよくないことは容易に分かります。食べられないことも駄目。食べ過ぎることも駄目なのです。

    草食系の野生動物は、草地を移動しながら食べます。ある地域を一気に食べ尽くしてしまうと、次のシーズンの植物が育たず、食べることができないからです。肉食系の野生動物は、捕獲した獲物を全て食べたりしません。例えば、ライオンは少し食べ残し、それをハイエナが食べています。もちろん、ライオンがハイエナのために食べ残しておこうなどと思っていないでしょうけれど、自分だけで全てを食べ尽くさないということが、より多くの生きものを生かせるようにするための自然の摂理なのです。人は余計な欲を持ち、それに執着しすぎるので、この摂理に外れてしまいがちです。結果として病気になって苦しんで、幸せになれません。

    ですから、どんな生きものにも食べ物が必要であることを知り、自らは必要以外食べないようにすることが大切なのです。

     

    空気がないと、呼吸ができなくて死んでしまいますから、なくてはならないものです。

    最近、酸素を売っていますけれど、これは必要でしょうか。

    ちなみに、都市部と森林部では、空気中の酸素濃度に差はないようです。このことを考えると、森林の空気が美味しく感じられるのは、森林の空気を含めたまるごと全ての雰囲気がよいからと言えます。

    人はよい雰囲気の中で生きていると、穏やかに暮らせ、幸せを感じられます。ですから、酸素の濃度の多い少ないに価値を置くのではなく、雰囲気をよくすることが大切なのです。

    ところで、よい雰囲気とは、どういったものでしょう。

    怒っている人。イラついている人。苦しんでいる人。人だけではありません。怒っている生きもの、イラついている生きもの、苦しんでいる生きもの。職場を含め、生活の場において、こういった人々や生きものたちが身の回りにいると、息苦しさを感じます。雰囲気が悪いのです。空気中の酸素濃度に関係ありません。

    生活の場がよい雰囲気にあること。つまり、身の回りの生きものが苦しまないで生きていることが、穏やかに幸せに生きることに欠かせないということです。ほかからの影響を受けずに人は独りで生きられないのです。

    ですから、自分の生活は自分だけで成り立っているのではないことを知り、あらゆる生きものが苦しまないように働きかけることが大切なのです。

     

    病気に罹ると苦しくて辛いものです。早く楽になりたい思いでいっぱいになります。あたりまえのことですが、生きものは、生きているから「いきもの」なのですから、精一杯生きることが生きものとしての使命なのです。痛みの感覚があるのも、生命の危険から逃れるためですし、苦味を感じるのも、毒のあるものを摂らないようにする感覚です。生きるための防御機能が生まれながらに備わっているのです。怪我をすれば、治ろうとしますし、身体にとって悪い菌が入ってくれば、退治しようとします。

    薬は、身体に悪い影響を与えている物質の作用を弱めたり、身体の免疫力を高めたりして、生命維持の機能を助けてくれます。ですから、何も問題ないのに薬を摂取することは全く意味がないのです。もともとある生命力を更に高めようとすることは欲ですから、心の健康によくありません。もっと健康になりたい。もっと長生きしたい。若さを保ちたい。これらの欲で心が病みます。身体は確かにいまより良い状態になるでしょうけれど、心と身体のバランスが崩れ、結果的には、心と身体のバランスが取れている状態よりも寿命が縮まります。心と身体のバランスが取れている状態で死を迎えるまでが、その生命体における本来の寿命となります。

    ところが、人は昔から長寿を望み、老化を防ぐため、さまざまな薬を合成し、服用してきました。でも、死から逃れた人はいません。生きていることは、いつかは死ぬということです。生と死は、生命がこの世に存在する間に起こる一つの現象に過ぎません。

    この世に生まれて存在し死を迎える。生から死へ向かっているわけですから、必ず老います。生にも死にも老いにも、なんら特別な意味はありません。老いを止めれば、死なないことになりますが、それは生きていることにもならないのです。変化しないものは、この世に存在しません。

    ですから、不老不死はかなわない夢だと知り、心と身体のバランスを最善に保つ生活をすることが大切なのです。

     

    以上のことを知って大切にしている人が、足るを知る人です。



    ※ 2012年 1月21日に、一部修正しています。
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