ココロまいるど

武道と瞑想の実践と、お釈迦様の教えから学んだことを、色々なところからヒントを得て記事にしています。

すべては無色

2015.10.24 Saturday 09:41
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    JUGEMテーマ:こころ

     光には色がついておらず、物体も無色です。
     光が物体に当たったときに、ある波長が吸収されて、その残った光が私たちの目を刺激して、色として感じているのです。
     これは赤色、これは青色、とは光を感じた人がそのように思っているだけです。
     ほかの生き物なら全く別の色で見えていることでしょう。
     ですのに、あたかもその物体がそのような色であるかのように思いがちです。
     視覚だけでなく、ほかの感覚も似たようなものですから、人は感じたとおりに、そのものがそうである、と思ってしまうのです。

     あなた自身も、ほかの人から、何か特定の色で見られていたようなことに思い当たりませんか?

     でも、そうではないことを、あなた自身がいちばん承知しているでしょう。

     もともと、この世に存在するもののすべては無色なのです。
     色がついていないということは、どのような色にもなれる、ということです。

     そう感じたというだけで、そのものを決めつけるのではなく、また決めつけられるものではないのです。
    夜話 | - | - | - | - |

    きれいにしておく

    2015.09.01 Tuesday 20:08
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      JUGEMテーマ:こころ

       たとえば、あなたが、昨日磨いたばかりのピカピカの靴を履いて、外へ出かけたとしましょう。

       買い物などさまざまな用事を済ませて、家に帰ってきたときに、靴はまだピカピカのままでしょうか。

       おそらく、目につくほどのほこりがついているでしょう。小さく擦ったあとを見つけるかもしれません。
       このように、一日を外で過ごしますと、結構汚れてしまうものなのです。
       今日のうちに靴の手入れをしておきませんと、次の日に同じ靴を履いて出かければ、さらに汚れや傷をつけて帰ってくることになります。

       あなたの心もそうです。
       今日、いい気分で外へでかけたとしても、途中でさまざまなことを体験します。
       その日を暮らせば、あなたの心には、自分では気づかないほどの小さなほこりや傷がついているものなのです。
       その小さなほこりや傷をきれいにせずに、またつぎの日も出かけるようであれば、あなたの心はますます曇ってしまいます。

       ですから、一日の始まりや終わりに、心をきれいにしておくことが重要なのです。

       
      夜話 | - | - | - | - |

      視点が大切

      2015.01.20 Tuesday 21:15
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        JUGEMテーマ:こころ

         他人の悪口ばかり言うようなひとがいたら、それに巻き込まれて、あなたまで気に病むことはありません。
         ただ、悪口を言った本人が心を汚していることに気づいていないのだ、と思えばよいのです。

         ところで、その悪口は、言った本人にもあてはまることに気づきませんか?

         あなたも悪口を言ったことが、あるかもしれません。
         その場面を思い出してみてください。
         あなたの言ってしまった悪口は、あなた自身にもあてはまりませんか?

         ひとが悪口を言っているのを見て不快に思うのなら、今後あなたが悪口を言うときがあれば、周りの人にそのように思わせてしまうことでしょう。
         周りに人がおらず独り言のように言ったとしても、あなた自身が聞くことになりませんか?

         ひとには、意識しないものは見えません。
         例えば、他人のわるいところが目につくということは、自分がそういう視点で見てしまっているからです。
         ひとのわるいところばかり見てしまいますと、この先、悪口を言うことしか、できなくなるでしょう。

         ですから、いつもひとのよいところを見ることが大切なのです。

         どのようなひとにも、よいところが必ずあります。
        夜話 | - | - | - | - |

        わかり合うということ

        2014.12.01 Monday 19:39
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           ペットを飼ったことのある人ならば、ペットの言いたいことや考えていることが、わかることがあったでしょう。

           人間は動物と意思を伝えあうことができるものなのです。

           ところが人間同士になりますと、「言葉」という専用の道具をもっているにもかかわらず、お互いをわかり合うことが、なぜ難しいのでしょうか。

           「言葉」は便利な道具ですから、ついつい使いすぎてしまっているのかもしれません。

           動物となら、言葉をかけつつも「相手が何を考え感じているか」をすべての感覚をもちいて理解しようとしていませんか。

           あなたは、人と意思を通わせるときには、同じようにしているでしょうか?

           ましてや、文字を並べたものをみるだけで、どれほど相手のことがわかるものなのでしょう。

           わかり合うためには、それがなくてもできるならば多少不便なほうがよく、さらにいえば、相手のそばに寄り添うことより優るものはないのです。

          夜話 | - | - | - | - |

          自然(じねん)にいる

          2014.02.28 Friday 19:58
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             「自然(じねん)にいる」ことのよく分かる事例が、ユング晩年の大著『結合の神秘』の脚注に書かれている「雨乞い師」の話です。
             ユングの友人であるドイツ人の学者から聞いた話で、シンクロニシティーの例として紹介されています。
             以下は、その抄訳です。

             そのドイツ人学者が中国の租借地に暮らしていたころ、とてもひどい干ばつがあったようです。
             その地に一滴の雨も降らない日が何か月も続き、大変深刻な事態になりました。

             神父や牧師、祈祷師などがそれぞれの手法で祈りやまじないを行いましたが、雨を降らすことはできませんでした。
             ついに中国人が、雨乞い師を連れてこよう、といいました。
             それで現われたのが、しわしわの老人でした。
             老人は、どこかに小屋を用意してくれるだけでいい、とお願いしました。

             老人がその小屋に三日間こもって、明くる四日目のことです。
             雲が垂れ込めてきて、なんと季節外れの雪が降り始め、吹雪になりました。

             街は、すばらしい雨乞い師のうわさ話でもちきりになりました。

             そのときドイツ人学者はいかにもヨーロッパ人らしい質問の仕方で雨乞い師に尋ねました。「どのようにして雪を降らせたのか教えてほしい」と。
             「わたしは雪など降らせていません。そんなことはできません」雨乞い師は言いました。
             「でも、雪が降るまでの三日間、何をしていたんですか」とドイツ人学者が尋ねます。
             「ああ、それなら説明できます」と雨乞い師は言いました。「わたしは秩序が保たれていた外の国からやって来ましたが、ここは天の定めによってあるべきとされている秩序が保たれていなかったのです。ここは国全体が自然(じねん)の状態になかたので、わたしも自然の状態でなかったのです。それでわたしは自然の状態に戻るまで、三日間待たなければなりませんでした。そうしたら、自然(しぜん)に雨が降ったのです」と。

             「自然(じねん)の状態」は、原文では、” in Tao ”と表現されていますので、道教でいう「道」にいなかった、とも訳せます。
             一方で、「天の定めによってあるべきとされている秩序」ともありますので、「人の作為が加えられていない、本来的なあるがままの在り方」にあること、ともいえます。
             このような、「おのずからしからしる」ことを「自然(じねん)」といいます。

             宇宙全体が秩序の保たれた自然の状態にあるためには、まず自分自身が自然にいないといけないのです。

            夜話 | - | - | - | - |

            物を借りること

            2013.12.04 Wednesday 00:42
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              JUGEMテーマ:こころ


               タオルを借りたら、洗って返す。
               調味料を借りたら、新品を買って返す。
               自動車を借りたら、燃料を満タンにして返す。

               ひとから物を借りて使ったならば、綺麗にして何かお礼の気持ちを込めた品を添えてお返しするか、新しいものを買ってお返しすることが、礼儀だと教わったものです。
               最近はレンタルという仕組みが浸透したため、このような心遣いをする機会がめっきり減りました。
               規則どおりにお金を払って、期日までに返す。返還が遅れたら、これも規則どおり罰則を受けておしまいです。

               本来、ひとから物を借りるということは、その物を差し出したひとの善意を一緒に受け取っているということです。
               決して物のやりとりだけではないのです。
               ですから、ひとに物をお返しするときには、その善意もお返ししなければならないのです。
               綺麗にして返すのも、新しい物を買って返すのも、善意のお返しを形に表したものです。
               たとえば、図書館で本を借りたときには、期日より早く返して、次に読みたい人が少しでも早く読めるようにすることが、善意のお返しになるでしょう。

               少しスケールを大きくしますと、根本的には自分の持ち物などなく、すべては他のものからの借り物だということがわかってくれば、世の中は善意で満ちていることに気付くでしょう。
               ですから、善意を返さないような身勝手な振る舞いがどれほど道を踏み外したことであるかは、自分が不快に感じたことの経験を振り返れば容易に理解できるはずです。

               お金も含めて目に見える物は道具にすぎません。
               真に見るべきところは、ひとの善意なのです。

              夜話 | - | - | - | - |

              「ふつう」って、なに?

              2013.11.14 Thursday 01:12
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                JUGEMテーマ:こころ

                 新聞紙に掲載されている写真を拡大してみると、小さい点の集まりであることがわかります。
                 いま、青色の点と黄色の点が同じ数だけいっぱいあるとします。
                 それらが、まんべんなく入り混じって分布していれば、緑色に見えるでしょう。
                 それら色の点の一つ一つを、ひとりの人間と考えてみます。
                 そうすると、人間には個性がありますから、同じ青色でも、黄色でも、少しずつ違うはずです。
                 中には、本当に緑色の人もいるでしょうけれど、全体としてみれば緑色です。
                 このように、全体として見える色のことを、「ふつう」と言いっているのではないでしょうか。
                 いまの例では、全体として緑色ですが、橙色の場合もあれば、紫色だってあるでしょう。
                 この全体として何色になるかを決めているのが、「文化」といえます。

                 でも、全体として緑色であるからといって、それを構成する点が全て緑色であることはありえません。
                 なぜかといえば、わたちたちが生きものだからです。
                 みんな同じであるとすると、繁栄するときには、爆発的に個体数を増やすでしょうけれど、環境が変われば、あっさり絶滅してしまいます。
                 環境が変わっても誰かが生き残るように、個々の生きものは、同じ種類であっても少しずつ違います。
                 生きものにとっては、同じでないことが重要なのです。
                 違うからこそ、命がつながっていくのです。

                 色の話に戻りますと、青色でも、黄色でも、誰もが少しずつ違う色であって当たり前なのです。
                 「ふつう」というのも、全体としてみれば緑色として見えるだけであって、緑色が基準である訳ではないのです。
                 ですから、緑色からどれだけ離れた青色か、あるいは黄色か、を評価することに意味がありません。
                 言い換えれば、自分がどれだけ「ふつう」から離れているのかを気にする必要はなく、困った人がどれだけ「ふつう」でないかを評価しても仕方ないのです。
                 逆に、「ふつう」であるから安心、というところにも確かな根拠はありません。

                 たとえ、何色であったとしても、それは自分の色なのです。
                 「ふつう」色に合わせるため、無理に自分の色を変える必要はありません。
                 何をしなくても、自分の置かれている環境によって、徐々に色は変わっていきます。
                 それが自然な色というものです。
                夜話 | - | - | - | - |

                いつもお世話になっております

                2013.09.26 Thursday 22:13
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                  JUGEMテーマ:こころ

                   「いつもお世話になっております」

                   メールの出だしなどでよく使われる文章ですが、書いた本人が本当にこのように思っているかは疑問です。
                   実感をもって他人の世話になっていると、心の底から思える人は、かなりの人生経験を積んで、真剣に生きてきた方ではないでしょうか。自分が世話になっているのと同じだけ、他人を世話している方だと思います。
                   おそらく、他人の世話をしているとも思っておらず、自然な振る舞いの中に、円熟した人間味があふれていることでしょう。

                   世の中には、自分の事と他人の事がありますが、ややもすると自分の事を大切にしがちです。自分の事を大切にしますと、守りがちになります。自分の内側に向かって思考が働いているのです。
                   ですから、他人からも大事にされるのが当然で、自分から他人に与えることなど思いもよりません。

                   人間として成長するためには、まずはこの「当然」が当然でないことに気付かねばなりません。
                   自分ひとりでは何もできないことに気付く機会を得てはじめて、他人の世話になっていることがわかります。
                   他人の世話になっていることがわかれば、他人に迷惑をかけないようにしようと思えるようになります。このように思えてはじめて、自分の振る舞いに注意するようになります。

                   「ひとさまの迷惑にならないように」
                   と、子どもの頃に教えられたものです。

                   他人に迷惑をかけないような振る舞いができるようになって、さらに自分と他人とを客観的にみえるようになりますと、他人のために役に立つことができるようになります。自分の体力や技術、能力、知識を、必要としている人のために活かすところまで成長できるのです。

                   こうして、他人に助けてもらっているのだから、他人を助けて当然、と思うようになります。こちらの「当然」が本来あるべき当然なのです。

                   「いつもお世話になっております」と、挨拶にも合理化とスピードがもとめられているのでしょうけれど、本当は重いはずのものが軽く扱われているような気がします。

                  夜話 | - | - | - | - |

                  残り物を与えないでください

                  2012.09.11 Tuesday 00:08
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                    JUGEMテーマ:こころ

                     慈愛の精神から贈り物をすれば、喜びが得られます。
                     与えれば与えるほど、たくさん受け取るようになります。
                     でも、たいていの人は、自分が満たされてないのに、他人に与える余裕などない、と思っています。
                     他人に与えるのは、自分にそれだけのゆとりができてからだ、と。

                     そのようなとき、マザー・テレサの次の言葉を思い出してください。

                    「飽くことなく与え続けて下さい。しかし、残り物を与えないで下さい。痛みを感じるまでに、自分が傷つくほどに与えつくして下さい。」

                     他人に与えるのは、残り物ではいけないのです。
                     今、この瞬間、あなたが他人に与えられる状況にあるならば、痛みを感じるまでに、与えつくすのです。

                     与えつくすには、相当な努力が必要です。
                     努力というと、我慢して、耐えに耐えて、成し遂げるような印象がありますが、ここでは少し違います。
                     努力とは、自分の理想とするものがあって、そこへ向かって、やらなければならないことを飽くことなく続けることです。
                     これが、飽くことなく与え続けること、です。

                     あなたは満たされていないと思っています。

                     本当でしょうか。
                     本当にそうと言いきれますか。

                     あなたが痛みを感じられるのは、生きているからです。
                     空気があるから呼吸ができる。
                     水が飲めるから、食べ物が食べられるから、身体が動く。
                     必要不可欠なもののすべてが満たされているから、生きているのです。
                     痛みを感じるならば、あなたの必要なものはすべて満たされているということです。

                     だったら、与えられるはずです。
                     何も困難なことはありません。

                    夜話 | - | - | - | - |

                    欠けた世界

                    2012.07.06 Friday 01:55
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                      JUGEMテーマ:こころ

                       五感をとおして世界を認識します。
                       それが、あなたの世界をつくっています。
                       同じように、他の人は、また違う世界を認識しています。

                       虹を見ると、日本人は7色で認識しますが、アメリカやイギリスの人々は6色、ドイツでは5色だそうです。
                       虹ひとつをとっても違う世界にいます。
                       7色見える人が、6色や5色しか見えない人を間違っているとは言えません。逆に、5色や6色の人からみて、7色見える人たちを変だとも言えません。
                       なぜなら、その人の脳は、確かにそれらの色を区別して認識しているからです。
                       見えないものは確かに見えていないし、見えるものは確かに見えているのです。
                       ですから、人はそれぞれ認識している範囲の異なった世界で生きているということです。

                       人間だけではありません。
                       カラスは人の見ることのできない紫外線まで見えるようですし、コウモリのように音で周辺環境を把握する生き物もいます。
                       動物や昆虫などの生き物は、各々の感覚器官で認識できる範囲で、自分の世界に生きています。
                       つまり、生き物の数だけ、世界があるということです。
                       でも、それは、その生き物にとっての部分的な世界です。

                       生き物の部分的な世界を全部集めれば、世界全体が明らかになると考えられませんか。

                       そう考えると、ある生き物がこの世からいなくなることは、完全な世界が欠けてしまうということです。
                       ただ単に、ある生物種が絶滅したというだけではすみません。
                       その生き物が認識していた世界が、この世から永久に失われるのです。
                       その絶滅の原因を人間がつくったとしたら、地球上に生きる、同じ生き物として許されることでしょうか。

                       ピンタゾウガメの最後の生き残り「ロンサム・ジョージ」が死んで、世界がまた一つ欠けてしまいました。

                      夜話 | - | - | - | - |