ココロまいるど

武道と瞑想の実践と、お釈迦様の教えから学んだことを、色々なところからヒントを得て記事にしています。

最善がなされますように

2013.08.19 Monday 00:16
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    JUGEMテーマ:こころ

     物事を行う前に、今からすることは自分にとって為になることだ、と自分自身に言って聞かせて、やってみる。
     そうすると、自分の望む結果であろうと、なかろうと、そこから何かを学ぶことができるでしょう。

     ここで「最善をなす」と考えますと、自分の力ですべてをコントロールできると考えて、物事に取り組んでいることになります。これは勘違いです。
     世界中の出来事を自分の意のままに動かせれば可能でしょうけれど、このような力を持っている人などいません。
     この世の出来事は、自分の思うままにならない様々な力が働いて、起こっています。
     ですから、非力な私達は、最善がなされるよう、願うしかないのです。
     願った結果として我が身に生じたことですから、自分にとって何か得るところがあるはずだ、と省み、自分に生じている感覚や思考を観察するのです。
     この瞬間に成長しています。

     ところで、最善とは、どのようなことでしょうか。
     残念ながら、自分にとって最も都合がよいことではありません。
     自分にとって善いことであり、相手にとって善いことであり、お互いにとって善いことであり、世の中の秩序にとって善いことである。
     これが最善です。
     ですから、私にとっての最善は、この世の生きとし生けるものにとっての最善でもあるのです。良し悪しの価値判断ではありません。

     受け入れることが難しい結果もあるでしょう。
     この苦しみは、結果を必ず受け入れなければならない、と考えることから生じます。

     どうして、結果を必ず受け入れなければならないのですか。

     あなたにとって、受け入れることが必要なら、そうすればよいのですが、その必要性を感じられないことまで受け入れる義務はないでしょう。
     そこまで頑張る必要はありません。

     それよりも、いまの行為に最善がなされることを願う方がはるかに重要です。
     最善がなされますように、と心の中で唱え続け、生じた感覚や思考を観察し続けるのです。
     それに対して、どうしよう、こうしよう、と思う必要はありません。
     続ければ、最善が行われている、と信じることができるようになります。

     とても簡単しかも安心。心の中で唱えるだけです。

     「わたしにとって最善がなされますように
      生きとし生けるものにとって最善がなされますように」

    まとめ | - | - | - | - |

    十思九徳の学び

    2012.01.28 Saturday 21:25
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      JUGEMテーマ:こころ

       帝王たる者は、次のような事を知っており、守っているものです。すなわち、

      不老不死を求めることは無駄なことだと知って、心身のバランスを最善に保つ程度で満足しており、

      常に心静かに落ち着きをもって一瞬一瞬の自分の振る舞いに気づきをいれつつ、自分にとって善いことである事、相手が善いと感じている事、相手の喜びが自分のこととして共に喜べるものである事、お互いの喜びが自然の秩序を乱さないものである事かどうかを即時に判断し、

      力のある者ほど自らには自制心を、他人には謙虚さをもって、自分の力をほかの人や生きものの役に立てており、

      まず自ら与えることが自分を豊かにすることであると知って、自ずと低い姿勢にあり、

      趣味や娯楽は、それをすることが、ほかの人や生きものにとって迷惑なことでなく、自分にとって有意義であるならば、大いに楽しみ、

      事業をなすときは、事業に関わるすべての者と目的を共有しており、

      自分が間違った色眼鏡で物事を見ているのではないか、自分の価値観や評価などに執着していないかを常に意識しつつ、客観的な目で物事を観ながら、慈しみの心で人々と無批判に接し、組織を健全で豊かなものにしており、

      人を区別することなく、悪い心を斥け、善い心を養うように働きかけ、

      自己満足からでなく、自分も含めた人々がよりよく生きるために役立つよう、贈ること、差し出すこと、与えることに喜びを感じ、

      自分からの贈り物を受け取った人と共に喜べるとき、贈るという行為は自分のために贈ったことにもなり、自他にとって最高の贈り物であると実感しており、

      罪を犯した人が悔い改め、清い心に変わるよう、慈しみの心から罰を与え、罪を犯した人を善の心に導いている。

       

      さて、帝王たる者は、以下の徳が育つように自らを鍛え、人物を育てるようにするべきです。また、人物を見るときには、まずその人物の備えている徳を見て、更に進んで、その徳を備えている人物が成し遂げることを見るのです。すなわち、

      心のひろい人物は、分け隔てなく個々人の存在を認め、人々を安心させます。しかも、望ましくない振る舞いに及ぶ者があっても、その者の存在自体を否定するのではなく、相応しくない部分を悔い改める機会を与え、秩序を乱さぬ人を育てる厳しさを備えています。

      心が汚れぬよう自らの言動を戒めている人物は、生きとし生けるものを慈しんでいます。その上で、心を清く保つよう自らの言動を律している人物は、慈しみの心へと人々を導きます。

      競争から一歩引いて勝ちを譲れる慎ましやかな人物は、全体を客観的に観るゆとりがあります。しかも、全体を客観的に観ていますから、効率よい手順が分かり、適切に処理します。こうして、この人物のもとでは、あらゆる物事が順調に進みます。

      物事の変化に気づく明敏さを備えた人物は、慎ましさをもって人と接すれば、変化の兆しに気づく機会に恵まれ、新しい安寧秩序を見出します。

      混沌とした世の中に秩序を回復できる人物は、自然の流れに柔順であり、しかも、多くの人々を正しい方向へ導く決断力を備えています。

      人から信頼され魅きつける人物は、生きとし生けるものを慈しむことに正直であり、しかも、和やかな顔で慈愛に満ちた言葉を贈ります。

      物事を成し遂げられる人物は、大まかに捉えることに秀で、しかも、その大まかさから物事の変わりゆく自然の流れを見出します。その筋道で事を運ぶので、関わる者の理解と協力を得ながら、上手に物事を進めていきます。

      いついかなるときも戒めを守って心を汚さぬようにし、しかも、言動が思慮深くて、心が清い人物は、周りの人々の心を汚さず、善き心で満たします。

      世の中に秩序と調和をもたらす人物は、自らは生きとし生けるものへの慈しみを常に念じ、しかも、生きとし生けるものへの慈しみの心を育むよう人々を導きます。

       

      帝王たる者が以上の思考を守り、人物を見出し、身辺に君子の徳を全て備えたならば、自ら汗をかかなくとも自然の働きによって、あらゆることが成就するのです。

      まとめ | - | - | - | - |