日本で、帝王学といえば『貞観政要』を指します。
『貞観政要』がまとめられたのは、唐朝二代皇帝の太宗(626年〜649年)のときです。以下は要約になりますが、『貞観政要』のなかで、「天下をすべる人君たるものは、十思をしっかりと守って、人の行いの九徳を大いに弘め、才能ある者を選んで任用し、善者を選んでその言に従えば、君にあっては何もせず、何を言わずとも、世の中が自然に治まる、すなわち、無為にして世が治まるという聖天子の大道を欠くことがございません」と、直諫の臣として有名な魏徴(580年〜643年)が太宗に述べるところがあります。
ここで、魏徴は、人の行いの九徳をさらりと述べていますが、九徳の方は、『貞観政要』よりはるか昔、中国では理想の政治を行ったとされる堯・舜の時代に、王佐の臣である皋陶の、王に対する言葉として、『書経』という書物に出ています。
皋陶が、人間の行為にあるべき徳として、兎に説いたものが、九徳です。
九徳の内、三つの徳を備え大いに勉める人は、家をもつ卿大夫となる人物で、六つの徳を備え、帝を補佐する人は、邦を育てる諸侯となる人物である、と皋陶は解説します。さらに、帝がこれらの徳を備えた人物を登用し、九徳を合わせて政を行えば、諸々の事績が成就すると言葉を続けます。
人物を見るときには、まずその人物の備えている徳を見て、更に進んで、その徳を備えている人物が成し遂げることを見るのです。
帝王が守るべき十思はつぎのとおりです。
・欲しいものをみたときには、足るを知ることによって自ら戒めることを思い、
・営造しようとするときには、止めるを知って民を安んずることを思い、
・高く危いことを思うときには、謙遜して自己を虚しくすることによって自ら処することを思い、
・満ち溢れることを思うときは、江や海が、あらゆる川よりも低いところにおることを思い、
・狩猟などをして遊び楽しみたいときには、三駆を限度とすることを思い、
・怠りなまける心配のあるときには、始めを慎み終わりを敬することを思い、
・君主の耳目をおおいふさぐもののあることを心配するときは、虚心に臣下の言を納れることを思い、
・讒言をする邪悪な臣があるのを恐れるときは、身を正しくして悪を斥けることを思い、
・恩恵を加えようとするときには、喜びによって賞を誤ることがないようにと思い、
・罰を加えようとするときには、怒りによって、むやみに刑を加えることがないように思う。
そして、帝王が弘める九徳についてはつぎのとおりです。
・寛にして栗・・・寛容(こころひろく)で、しかも、厳慄(きびしい)であること
・柔にして立・・・和柔(おだやか)で、しかも、しまりがあること
・愿にして恭・・・謹愿(つつましやか)で、しかも、供辨(物事をてきぱき処理する)であること
・亂にして敬・・・治理(物事に明敏)で、しかも、敬慎であること
・擾にして毅・・・柔順で、しかも、果毅(決断力に富む)であること。
・直にして温・・・正直で、しかも、温和であること。
・簡にして廉・・・簡約(おおまか)で、しかも、廉正(筋道を立てる)であること
・剛にして塞・・・剛毅(意志が強い)で、しかも、塞淵(思慮深い)であること
・彊にして義・・・彊力(実行力に富む)にして、しかも、義善(道理をわきまえている)こと
ここでは、これら十思九徳を、お釈迦様の教えから学んだことをもとに読み直しています。
どうして、このようなことを思いついたかには、訳があります。
シャカ族の王子である、お釈迦様が生まれた時、王が占者たちに占わせると、彼らは、世に類を見ない強き国の王になると予言しました。そののち、高名な仙人がこの国に立ち寄った際、王が王子のことを問うと、人間のうちで最上の人であると言い、最高のさとりに達すると言いました。
このことから、至高の王になる資質をも備えておられたお釈迦様の教えであるなら、帝王学にも応用できるはずだと考えたのです。
十思九徳をもとに、生きとし生けるものを幸福に導くリーダーの人物像を描いてみました。お読みになって、何かのお役に立てたなら、うれしく思います。
なお、十思は、新釈漢文大系第95巻『貞観政要(上)』(原田種成著、平成3、12版)、九徳は、新釈漢文大系第25巻『書経(上)』(加藤常賢著、平成4、10版)を参考にしました。