ココロまいるど

武道と瞑想の実践と、お釈迦様の教えから学んだことを、色々なところからヒントを得て記事にしています。

執着を捨てる

2013.11.27 Wednesday 20:01
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    JUGEMテーマ:こころ


     思い出の品が捨てられないのも、高い地位にしがみつくのも、そのものへの執着があるからです。
     逆に、物を持たないようにするのも、隠とん生活を徹底するのも、そのものへの執着があるからです。
     物が買えないから、持たなくていいと思うところには、所有への執着があります。
     うるさい世間から離れたくて、人里はなれた場所に引きこもるのは、世間からの逃避を決め込む執着があります。
     そこに何らかの執着があれば、心が汚れています。
     捨てるべきは、物や地位そのものではなくて、物事に執着する心なのです。
     自分には持ち物が少ない、社会的な影響力がない、という思いは、自分にとっては不満なことです。
     不満を抱えて生きることは、苦しいことです。

     肩がこったり、お腹が痛くなったり、痛みがあってはじめて健康であることの有り難味が分かるものです。
     逆に、楽しいときには、苦しいときのことを思い出さないでしょう。
     つまり、人間は苦の中に楽を見いだす生き物といえます。

     苦しみの状態がベースですので、苦しいのは当たり前のことなのです。
     苦しいことに耐えて生きるなかで、楽しいことを味わうことができます。
     執着を捨てることも、苦しさに耐えてはじめてできることなのです。

     ところが、苦しさに耐え、執着を捨てるだけならば、生きることをあきらめる場合だってあります。
     人生の楽しさも、生活の穏やかさも、生きる喜びも、生きようとする精神がないと味わうことはできません。
     生きようとする精神が未来に向いていないと、人は生きられないのです。

     人は生きているうちに多くの選択を迫られますが、精神が未来に向かっているならば、必ず最善がなされます。
     どのような選択をしようとも、よりよく生きるための成長に欠かせない結果がもたらされます。

     苦しさに耐え、未来に向かって、「いま」を生きるのです。
     最善がなされると信じて。

    私本方丈記 | - | - | - | - |

    足るを知る生活

    2013.11.24 Sunday 01:46
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      JUGEMテーマ:こころ

       物がないと執着する対象がないので良いことだ、と単純に喜べません。
       なぜなら、物がないことに不満で、物が欲しいという気持ちを抑え付けているだけかもしれないからです。
       
       生活する上で必要といえない物を所有していることが問題なのではありません。
       なぜなら、将来それを必要とする誰かのために、一時的に預かっているだけかもしれないからです。
       問題は、物への執着心にあるのです。

       日常生活で必要な物が必要な量だけなければ、何かと支障を来すことでしょう。
       でも、必要でない物や使い切れないほどの量があるなら、なかったとしても何とかなるはずです。
       自分の欲求で判断していないかは、生活する上でなくてはならない物が要るだけあるのか、で判断することです。
       そこで、いま持っている物の一つ一つを、必要かそうでないか、で判断してみましょう。

       なぜ、これを持っているのだろう。

       この問いかけが大切なのです。
       どのような物がどれだけ残るでしょうか。

       ある最小限主義の人が、所持する物のほとんどのものが無駄であることに気付き、代用のできると思った物を処分していったところ、一五個程度に行きついたそうです。
       それらの種類は、シャツ二枚や下着などの衣類、洗面用具、タオル、雨具、携帯電話などと、それらを入れるカバンでした。

       私たちが生きていく上でなくてはならないものは、衣類、食べ物、住む所、そして薬です。
      それぞれで、自分に必要なものを問いかけるのです。
       必要以上のものは、それを必要とする誰かからの預かり物です。
       それらを必要とする誰かのために一時的に預かっているだけです。

       でも、会話がありませんと、誰にいつどのくらい渡してよいかが分かりません。
       誰かに渡すばかりではありません。自分が受け取ることもあるでしょう。
       それもこれも、誰かとどこかでつながっているから、できることです。
       先ほどの最小限主義の人の例にあった携帯電話のように、会話のための道具が残っていたのも頷けるところです。
       少し前なら、便箋と筆でしょうか。

       自然の世界は絶妙のバランスで無駄のないようにできているのに、我欲が無駄を生んでしまうのです。
      私本方丈記 | - | - | - | - |

      ひとめを気にする生き方

      2013.11.17 Sunday 18:34
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        JUGEMテーマ:こころ


         権力やお金のある人が隣に住んでいるとすれば、自分のことをどのように感じるでしょうか。

         たとえば、家が隣にあるならば、自動車や家具、庭の広さなど、自分の持ち物の安っぽさを、何かにつけて感じてしまうかもしれません。隣家のことをうらやましがっている家族を見るのも面白くないでしょう。
         また、隣人が、自分の姿を目に入らないかのように無視しているようなら、さらに惨めさがつのります。
         逆に、隣人の声を耳にすると、悪く言っていないかと気になり、自分の立ち居振る舞いを見られて、粗野な奴と思われていないかと気になったりします。

         ところで、少ないとはいえ、自分の財産は守りたいものです。
         家屋の密集しているところだと、火事になったら類焼をのがれられませんし、人里離れた一軒家では盗難の危険が高まります。
         財産があると思えば、盗られないかと心配し、財産がなくて貧乏だと思えば、嘆きが大きくなります。

         自分のことを権力がありお金があると思えば、更に増やしたい、失いたくない、と考えたりします。
         逆に、貧乏だと思えば、軽蔑されている、と考えたりします。

         これらのような考えでは、この世は生きにくく、心を悩ますことばかりです。
         ひとめを気にする生き方は、どこに住んでいても、どのような仕事に就いていても、心が安らかに休まることはないのです。

         

        私本方丈記 | - | - | - | - |

        世渡り上手

        2013.11.10 Sunday 18:24
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          JUGEMテーマ:こころ

           心穏やかに生きるためには、人と人との信頼関係が大切です。
           人として信頼できるかできないか、よくわかる機会として、つぎの二種類をあげてみましょう。

           一つは約束したことをどうしても守れないとき、もう一つは突然のアクシデントに見舞われたとき、です。

           これらの機会に、どのように対応するかで、信頼できる人かそうでないかが分かります。

           こちらの頼みごとを快く引き受けてくれたようでいて、いつまでたってもやってくれない者。
           君を守ってみせるなどとかっこいいこといいながら、怖い目に遭いそうになったとき、姿の見えない者。
           これらのような人を、信頼できますか?

           ほかの例では、会社などで、上司の言うことには、ハイハイと従うのに、同僚の頼みごとは渋る者。
           これは、自分の手柄をよりよく、他人の手柄を自分の手柄のように見せるような者のことです。
           また、事業が順風のときには調子のよい大言を吐いてばかりなのに、暗礁に乗り上げたときや逆風が吹いたときには、体の調子が悪いと言って休む者。
           これは、良い場面では自分の姿を目立たせるのに、悪い場面になると姿を隠すような者のことです。
           こういう人たちも信頼できません。

           ところが、このような者に限って、出世が早かったりします。
           こういう人たちのことを「世渡り上手」といいますが、「世を渡る」のは、自分だけをよりよくしたいという欲の感情です。

           人と人との信頼を築き、維持するためには、信頼関係にあるお互いがよくなければなりません。
           自分だけがよくても駄目で、相手だけがよくても駄目なのです。
           自分のことと相手のことの区別がなく、自分自身と相手を含めた丸ごとを「我がこと」として考え振る舞えるとき、信頼関係にあるといえます。
           自分だけの欲で行動することがないのです。

           信頼関係を築くことと、世渡り上手であることとは、関係ありません。
           むしろ、世渡りの下手な人ほど、多くの人々と強い信頼関係を 築けるのです。

           

          私本方丈記 | - | - | - | - |

          天災人災

          2013.11.02 Saturday 23:12
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            JUGEMテーマ:こころ

             世の中で、怖いものに「地震・雷・火事・親爺」というコトバがあります。
             もっとも、最後の「親爺」はもともと「大山風(おおやまじ)」だったという説もあります。
             「大山風」は台風のことですから、そうなると「地震・雷・火事・台風」になります。
             出会うと不幸になるものを「災い」といいますが、自分の意のままにならない、予測できないことです。
             ところで、よく考えてみますと、ヒトの心も自分の意のままにならないものです。
             ですから、「親爺」も、意のままにならないものとして並べるならば、同列にあってもおかしくはないのかも知れません。

             大切なのは、そういう状況に接してしまったときに、自分がどのように対処するかです。
             「災い」ですから、不幸を感じるのは無理もない状況です。
             信じていたものや頼っていたものを失って、自分の価値観やよりどころが根底から崩されます。
             命がけで変わらないと、この人生の危機を乗り越えることはできません。
             自分の置かれている状況の中で、自分のできることをただただ必死にやるしかないのです。
             なぜこのような状況になったのかとか、この先どうなるのだろうとか、考えているうちは必死とはいえません。
             命がけの必死さは、いま、この瞬間に生きる覚悟を決めなければ、発揮されないのです。

             いましていることは自分に最善な結果をもたらすのだ、と信じてください。
             そうすれば、人生を変える勇気が出ます。

            私本方丈記 | - | - | - | - |

            独り占め

            2013.10.25 Friday 19:09
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              JUGEMテーマ:こころ
               自分の衣食住を振り返ってみてください。
               人は身の回りのものを摂って、生命をつないでいます。
               つまり、他のもののお世話にならないと、生きていられないのです。

               自分が健康にすごせるのも、大地の恵みである食物を必要なだけ十分にいただけるからです。
               必要なだけ十分にいただけなければ、ひもじい思いに悩み、空腹に苦しみます。
               それが続けば、本当に健康を害してしまいます。
               そこまで病んで初めて、食事にありつける有り難さを知るのです。
               お腹が空いたときに食べ物のあることが当たり前になっていますと、感謝の気持ちを忘れがちです。
               いつでも食べ物が手に入る社会では、感謝の気持ちをもち続けることは難しいことなのです。

               貧しい者ほど分かち合います。
               感謝の気持ちがあるからです。
               食べ物があることの有り難さを、身をもって理解しているからこそ、まだ食べ物のない人々と分かち合わずにはいられないのです。

               独り占めには、本当の喜びはありません。
               そこにあるのは、奪われはしないかという恐れであり、心の安らぎではありません。
               自分ひとりだけ満たされることは、楽しいかもしれませんが、幸せになることはないのです。
              私本方丈記 | - | - | - | - |

              役立てること

              2013.10.19 Saturday 23:38
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                JUGEMテーマ:こころ

                 変化するのは、モノだけではありません。
                 財産や権力もそうです。
                 財産をどれだけ殖やして独り占めにしても、権力をどれだけ強大にしても、火事や地震で一夜にして失うこともあります。何よりもその人が死ねば、それで終わりです。

                 それなのに、立派な家を建てようとしたり、財産を殖やそうとしたりして、いろいろ苦労するのは、よく考えてみれば、つまらないことではないでしょうか。
                 また、地位や権力も、それらを認めている会社や地域社会などの組織に所属している者の間では、影響力があるでしょうけれど、所属が異なれば何の効力も発揮しません。
                 しかも、母体となってる組織も永久不変の存在でないのですから、地位や権力も確かなものとはいえないでしょう。

                 世界遺産になっているものもありますが、古代の遺跡も、そこで繁栄を謳歌していた人々が暮らしていた場所でした。
                 今は、石積みなどの建物の痕跡を認められる程度で、同じ繁栄を今に維持しているところはありません。
                 大航海時代に世界の中心として君臨していた大国も、今は歴史上のできごととして学ぶだけです。

                 ここで、オーストリアのある富豪のお話を紹介しましょう。
                 その富豪がホテルに泊まった際、スタッフが自分という人間のために動いてくれているのではなくて、自分の持っているお金のために動いていたのだと分かったことがありました。そのことがきっかけとなり、人付き合いが希薄であったことに気づいたそうです。
                 また彼がアフリカを旅行したときに、自らの富がアフリカの人々の貧困と強い因果関係にあるのを知ることになります。
                 これらの体験を通して、経済的な成功に執着することが、人間らしさを損なっていくことになっている、と悟ります。
                 その後、彼は自分の財産を手放し、貧しい国を支援する組織を立ち上げて、全ての財産を寄附しました。財産を手放すことで、やっと幸せを実感できたそうです。

                 財産や権力などには、必ず終わりがきます。
                 どのように維持し増やすかよりも、それを所有している間に、どのように社会へ役立てるかが大事なのです。

                私本方丈記 | - | - | - | - |

                終わり方が大事

                2013.10.09 Wednesday 21:55
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                  JUGEMテーマ:こころ

                   いつ生まれ、いつ死ぬのか、わかりません。
                   どこから生命を授かり、死んだあとはどこへ行くのか、知りません。
                   生きている間は考えることができますので、生前や死後の世界もあれこれ想像できるのですが、生まれる前や死んだあとのことは、実際のところ知りようがありません。
                   知りようのないことを想像して、楽しんだり悩んだりしても、そのときは充実しているかもしれませんが、結局は仕方のないことで、時間の無駄です。

                   ただ、確かにいえることは、生きている間は、常に変化しているということです。
                   生まれて、成長して、衰えて、死ぬ、という段階を踏まないものは、この世に存在しません。
                   生き物だけでなく、岩石も、星も、あらゆるものはすべて変化していて、永久不変なものはありません。

                   どのようなものも、やがて終わりが来ます。
                   だから、終わり方が大事なのです。
                  私本方丈記 | - | - | - | - |

                  環境健忘症

                  2013.04.13 Saturday 22:53
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                    JUGEMテーマ:こころ

                     久々に田舎に帰りますと、知ってた町並みが変わっていて、びっくりすることがあります。
                     住んでいる人も代替わりして、息子さんが跡を継いだりしていますが、でも彼の面影が親父さんそっくりになっていて、何だか懐かしい思いをすることもあります。
                     ところが、ふだんの生活では、身の回りの環境の変化に気づかず、やり過ごしているものです。
                     ゆっくりした変化に気づかないのは、変わらないでいてほしいという、はかない願望がそのように勘違いさせているのかもしれません。
                     一見変わらぬようにみえるものも、実は常に変わっています。

                     最近のことはよく忘れるが、昔のことはよく覚えている。
                     これをもの忘れや健忘症と言ったりしていますが、身の回りの環境のゆっくりした変化を覚えていないことが、環境健忘症です。
                     ゆっくりした変化は私たちの感覚を慣らしながら過ぎていきます。こうしたゆっくりした変化に常にいるものですから、昨日と今日で、どこが変わったのかが分かりません。
                     でも、ふと気づいたときには、大切なものを失ったような気になったりします。
                     急激な変化には気づきやすく、速やかに対処しますが、緩慢な変化には慣れがあって、限界が来てはじめて気づくものです。限界を超えれば、そこで終わりです。環境健忘症は怖いのです。限界が来るまでに、うまく変化に対応しないと、生き延びることはできません。

                     人も文明も、あらゆるものは変化しており、生老病死を逃れられないのに、変わらぬこと、永遠であることを望んでしまいます。
                     移りゆく一瞬一瞬に気づきを入れ、変化を受け入れることが、安心を得る唯一の方法なのです。

                    私本方丈記 | - | - | - | - |

                    変化するものは常に新しい

                    2013.04.06 Saturday 10:18
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                      2013.04.05Kyoto022013.04.05Kyoto01 

                      ― ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。

                       この一句は、『方丈記』の冒頭の名文です。
                       この河と同じ河のほとりで観る桜も、花が咲いて散り、葉が茂って散り、再び花が咲いて、という流れが、やはり絶えることはありません。
                       しかも、去年の桜の花と今年の桜の花とは違い、また、晴れていた昨日と風強く雨模様の今日とも違います。
                       美しい景色を写真に収めても、現実には、二度と同じ景色を五感に触れることはありません。
                       
                       いつも変わらない、と思っている人も物事も、またこれと同じです。
                       同じものと二度と会えないということは、常に新しいものと巡り会えるということです。

                      私本方丈記 | - | - | - | - |